サイエンスカフェ さらら①
「さらら」とは何か
小林 義孝(提河泉地域文化研究所)
1.「さらら」とは
讃良さらら、ささら、さんら、さら
・河内国讃良郡→河内国14郡、越後国(新潟県)には河内国より大きい郡→先進地
鸕野讃良女(うののさららのひめみこ。うののささらのひめみこ) →持統天皇
飯盛山西麓、河内湾・河内湖・深野池の東岸の細長い地域、その間を東高野街道
寝屋川と大和川流域の吉田川・恩智川の合流地点(→河内 in 河内)
・大東市の東部(四条町、住道町)、四條畷市、寝屋川市東部→四條畷市田原の問題
2. 古代のさらら
- 古墳時代(河内湖の時代)→部屋北遺跡(馬の生産基地)、北新町遺跡(巨大な倉庫群)
→河内馬→渡来系氏族の集住、大和王権にかかわる遺跡 - 太秦(うずまさ)→古墳群
- 古代の讃良郡
→古代寺院(高宮廃寺、讃良寺跡、正法寺跡)→郡の北部(寝屋川、四條畷北部)
一式内社(須波麻神社、御机神社、津神社、国中神社、高宮神社、高宮杜御祖神社)
→都の北部に多い、大東市域は「洲浜」 - 石の宝殿古墳→鸕野讃良皇女(持統天皇)
- 平安時代 →東高野街道が南海道
3. 中・近世の讃良
四條畷の合戦→東高野街道の野崎をめぐる合戦 →天下分け目
政治首都・飯盛城 →讃良をめぐる南北と東西
→「飯盛」は北から(京都から)の視線。東高野街道をめぐる南北軸
→三好長慶の飯盛城の外港「三箇」 →寝屋川による東西軸
– 大坂築城以降→背後を支える流通の拠点・住道
→野崎詣り→人糞肥料の集約、物流の中心 →片町線
4. 地域の歴史をつかむ
- 歴史的空間と現在の行政区画→歪められる歴史像
- 地域の個性、風格あるまち←平準化してしまう「観光」(→迎合)
身近な痕跡(モノ、コトバ、風習、生活)を注視し、「さらら」の再認識を!
